お仕事中、デバッグ作業が一段落し手隙になってしまったので暇つぶし・・・。
という不真面目会社員で済みません。
ガレージキットに関して検索していたらこんなブログに当たりました。
この中で、萌えについて以下のように書かれています。
「萌え」が以上のような言葉であるとすると、周りの皆が共有している萌える対象というのは、統一されていないといけないわけですね。旗印が表と裏で違う絵を描いてあったら集いようがありません。 統一するためには、みなが必ず知っているはずの情報、すなわちそのキャラが登場する作品を聖典として構築される必要があります。そして聖典の解釈は、萌えを共にする者すべてに共有される唯一無二のものでなければならず、逸脱は破戒です。
それを受けて、ガレキに関しては以下のように書かれていました。
キャラに萌えるあまり高い金払ってガレージキットを買ってきて、また高い金はらってエアブラシのシステム整えて、長い時間と労力をかけて完成させてみれば、「俺だけの、たったひとつの萌えキャラの偶像」という非常に萌えに反する恐るべきものが手に入ってしまうのです。
これは個人の”萌え”の定義の違いや”萌え”に対するアプローチの違いが根底にあって、なかなか難しいテーマですね。
私がフィギュアを作ろうと思い立ったのは、買うばかりでは満たされない何かがあるからです。最近ご無沙汰のお絵描きも同人活動も、「自分の手で”萌え”を体現したい」という気持ちがあったからだと考えています。
確かに、「思い通りにかわいい女の子が描けない」「何度塗っても雰囲気出ない」なんて事になれば”萌え”を体現するどころかフラストレーションが貯まる一方・・・ということになりかねませんが、この工程を経ることそのものが萌えを増幅する効果を生み出すのではないでしょうか?
昨今はオタク業界も商業化しつくされおり、お金を出せばそれっぽいモノが揃いオタクに成れる「なんちゃって購買オタク」が増えている感が否めません。
お金を出せばメイドさんとお茶出来るって?
”萌え”というものを勘違いして商業化した事による害の最たるものの1つでしょう。
”萌え”は自分の想いとリンクして高次に昇華するもの。確かにかわいい完成品フィギュアを眺めるだけで素敵な世界にダイブすることも可能です。でもガレキフィギュアのしなやかな肢体を撫で回しながらダイブするともっと気持ちが良いです。
・・・あれ?何か違うぞ(;´Д`)
とりあえず・・・。
完成品の細かいバリが気になって仕方がないんじゃ???!
ということにしておきますわ。。。
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